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「相合傘なんて、先生に見られたら死にたくなるんだけど」
奥田は傘を差し出す村上に言った。
「違ぇよ、資料濡れたら困るのハルちゃんだろ」
途中、村上が足を止める。
「『雨の中の噴水』だ」
中庭の噴水を見て、三島由紀夫の短編を思い出したのか。
別れ話を一方的に突き付け、
泣いた少女を雨の中、噴水公園まで連れて行き、
少年は言う。
お前の涙もこの噴水には敵わない、と。
だが、少年の自己満足は少女の一言で脆くも崩れる。
そんなコント的オチのある小説だ、が。
「あれ、絶対聞こえてたよな」
少女が公園で泣き止んだのは、きっと。
虚構の中の人間の心には敏いくせに……。
「さっさと歩け」
奥田は聞こえないフリをして、村上の脛に蹴りを入れた。
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拙作『江戸川悠の考察教室』のスピンオフ作品です。
キャラなど分かりにくくてすみません。
今回は特に……今まで以上に……。
三島由紀夫の『雨の中の噴水』は以下のようなお話です。
丸の内の喫茶店で別れ話をするカップル。
「別れよう」が言いたいだけの為に付き合い、一方的に別れを告げる少年。
告げられた少女は号泣します。
少女の涙の水圧を見て、噴水公園を思い出した少年は、少女の涙と噴水を比べて見せてやろうと思いつきます。
雨の中、傘一つで泣く少女を連れて公園まで行って、その思い付きを実行するのですが……。
少女のある一言で少年の『英雄的別れ話計画』は台無しになる、そう少年の思うようにはいかないよ、という、コミカルなオチが待っている短編小説です。
しかし、ほんとうに少女の言葉を読者は信じていいのでしょうか?
ここを深く読むと彼女のしたたかさを感じることが出来ます。
それにしても、なぜ、あんなにも大泣きしていた彼女は、公園に着いたらコロッと泣き止んでいたのでしょう?
それはこの公園がただの噴水公園ではないからで、そこに連れていかれることは何を想像させるのか。
この短編は1963年『新潮』8月号に掲載された後、同年『女性自身』11月11日号に掲載されました。
こんな内容なのに意外にも女性誌に掲載されたのです。
その噴水が何のために建てられたのかを当然知るその当時の読者には、少女が泣き止んだ理由の少女らしさにフッと笑いを漏らしたかもしれませんね。